「第3章 表現のもつパワー」に関するトークページ
rashita.iconこの章についての雑談などを。
rashita.iconタイトル通り、「表現」についての章でした。
rashita.icon読書について
tksさんの「ソクラテスは再読をどう評価しただろうか」など、この部分にフックがあった人が多かった印象。
本が「道具」なのだとしたら、その道具の「使い方」を覚える必要がある、という観点は「たしかに」という納得感がありました。
関連していいださんの「ではいつ、中世の読書は終わったのか?」というのは論文のテーマになりそうな疑問ですね。
rashita.iconごく単純に考えれば、グーテンベルク以降、本が大量に印刷されてからではないかと予想します。供給が増えて、一冊の本にそんなに時間を使っていられなくなってきた、的な。
黙読習慣が集団から人々を引き離す作用を持ってい た
rashita.iconもう一つ、tasuさんが「同じ情報を種々のニーズにあったさまざまなレイアウトで表示」の部分を取り上げておられました。
これはデジタルの情報ツールをすぐに連想する話です。
ex.
マークダウンとプレビュー
アウトライナーとマインドマップ
Evernoteのリスト、カード、サマリービュー
Notionのさまざまな変更
Obsidianの個別のファイルと、グラフビュー
たくさんのレイアウト表示を持つツールもありますが、肝心なのは「種々のニーズにあった」の部分でしょう。
どういうタスク(処理)をしようとしているのか
そのタスクに向いたレイアウトとは何か
上記二つをクリアする必要があります。
たとえば「アイデアノートを読み返すとき」と「タスクを実行するとき」と「タスクについて考えるとき」ではおそらくタスクが違うでしょう。
表現がややこしくなりました。「」の中のタスクはやることの意味で、平文のタスクは脳の情報処理の意味です
この二つが、同じ言葉で名指されている、という点に何か示唆はないか?
一つの情報ツールにすべてつっこむやり方の弊害は、タスクによる情報のレイアウト(ビュー)が均一化してしまう点でしょうが、単にビューを増やせば解決、というわけではないだろうとも思います。
TsutomuZ.icon Representation
1. 表現**される**ものの世界 (the represented world) ーー表現される対象の世界
2. 表現**する**ものの世界 (the representing world) ーー記号の集合。 それぞれの記号は表現されるものの世界の中の何かを代替ーー表現ーーしたものである。
ここからいろいろなことが考えることができそうだけど、知識不足で進めませんでした。
Representation 使用増加を眺めると、近代の発展と相関があるように思える。